人気ブログランキング |

2009年 07月 07日 ( 1 )

1952年の暮らしの手帳の記事_d0101846_552359.jpg
大正、及び昭和初期のお生まれの親を持っておられる方、こういうことはないでしょうか? 
この方達、やたら物を仕舞い込んでおきませんか?
例えば敬老のお祝いに何かあげたとする、例えば誕生日になにか送ったとする。使って喜んでもらうと嬉しいというのが送ったほうの気持ちです。
ところが、うちだけの話かもしれませんが、そういうものはすべて押し入れなり箪笥の中に仕舞い込まれてしまって、日の目をみるということはありません。 「使うたらええやん」と言いますと「もったいないから仕舞っとく」という答えが帰ってきます。

ある時、暮しの手帖の戦後すぐに出されたものの復刻版のようなのを読んでいる時、この記事をみつけて、こういう考え方なのかと、メモしておいたのです。1952年のものです。

要約して書きますと、
物がなく貧しい時代ではあるが若い女性がズック靴を履いているのはやはり惨めである。ここに同じズックの靴を履いているいる二人の女性がいるとして、一人はそのズック靴一足きりしか持ってなく破れてしまったらどうしようという状態。  もう一人はズックを履いてはいるものの、家に帰れば新品の革靴が仕舞ってある。  こういう場合同じズックを履いていても、この二人の気持ちは随分と違うだろう、ということが書いてある。

そして、この文章はまだ使わないものをなにかひとつ持っていることの楽さということについて書いてある。
なるほどねぇ、わからんでもないですよ。
けれどねぇ、もう戦後やないんです。時代は全く変わってして、使わずに仕舞っておけば、それらはいずれゴミとなり捨てられてしまうことになる。
ということが若い頃に物資がなく苦労した経験のあるこの世代の人には、なかなか理解するのが難しことなのでしょうか。