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1970年前後のコンサート、及び演劇方面のちらしを弱冠保有している。
これは、京都、丸山音楽堂というところで行われたモップスを中心としたコンサートのちらしだ。 ゲストなど見るとなかなか興味深い。「やしきたかじん」なんて名もある。 
ところで、このモップスの鈴木ヒロミツさんは去年なくなっているのですね。
このコンサートはちらしは持ってるけど、行ったというわけではない。
この所有しているちらしの大方は、今はなき「京都書院」の階段の横のちらし置き場でもらってきたものだ。 こういうのが将来おもしろいとおもって溜め込んでおきましたぞ。
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札束入れをつくれども、入れる札束はない。。

昨日は行方不明になったハサミをさがしだすため、机の周りを整頓した。
ハサミは結局ソファの下からでてきた。
ま、いいか。おかげですっきりした。
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去年ベルリンの雑貨屋さんで購入。懐かしいのう。
金属で出来ている。

※   ※
今日のニュースに長時間労働のことが出ている。
働き過ぎでうつになったのだ。
ムスコが大学を出てすぐに入った会社も、それはそれは過酷だったことをおもいだした。
2年がんばらはったけど、見ていて、可哀相だった。
若い人の職場環境というのをもっと真剣に考えていかんと、日本も先がないんじゃなかろうか。
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雪をかぶった教会。厚いコートをきてお参り(?)に行く人々。
なぁんか、なつかしい気がするのは、やはり、前世にフランスあたりにいたのであろうか。  
なぁんてこと言ってるが、自分も前世のことを考えた時期があって、私の場合、前世は騎士であったとか、そういうカッコいい話ではないのだが、ひょっとしてこの人の生まれ変わりやないだろうか、という思いがあるのだ。

それはぢつにプライベートなことだが、私の祖父の妹に、その名も「やちさん」という、いかず後家で約40代で寿命をまっとうした大叔母がいたらしい。当然私は見たこともないのだが、どうもひょっとしてその人の生まれ変わりではないかと勝手におもっているのだ。 そう思う根拠は、まず、私が猫好きであること。この大叔母もたいへんな猫好きだったそうな。子供の頃、猫をかわいがっていると、祖母や叔母が、「よう似てるなぁ、やちさんに」とかいって影で笑っていたのだ。
明治、大正の風俗を描いた竹久夢二なんかの絵にやたら懐かしさを感じたりするのも怪しい。 この大叔母は水辺に住んでいたのだが、私も水辺が大好きである。
そのくせ、雨がきらいで、こわいのである。 この大叔母は明治の中期にあった琵琶湖の大洪水で家を失っているのだ。

そんな、なんやかんやで、どうもこのひとの生まれ変わりではなかろうかとおもっているという、つまらん雑談でありました。
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毎年この新潮社から出る文庫サイズの白紙の手帳(?)を買っている。
中は日付だけ印刷してあって、まったくの白紙の本なのだ。
自由に使えるので、気に入ってもうこれで9冊めとなった。

今年はハンガリーの広告の紙などでブックカバーにしていたが、紙質が悪かったのか、途中で破れてきたので、来年用は、布で作ってみた。
手旗体操づくしで、ちとくどいかもしれないが、来年もいいことが書けますようにと、なんだかこの本を買うと年末の気分が盛り上がる。

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裏の始末の仕方はこちらのほうに入れておきました。
図案はまた後ほど入れておきましょう。
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妙なことにばっかしこだわる性格であるが、
これからは、物を処分していくと同時に、へんな自分だけのこだわりというのも
ひとつひとつ、捨てていかないかんなと。。
これだけは!というものだけ残して、あとは、もうどうでもお好きに、といえるようにならんといかん。 物事に執着するというのは生きにくいということでもあるのだ。
そして、どんどん削ぎ落として自由に身軽になろう、なんておもう今日この頃。
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タイムリーに資生堂石鹸の宣伝マッチ。
日本で石鹸が普及したのはいつごろだろう。
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今読んでいる本、これ、なかなかおもしろいのだ。
いかに、ヨーロッパ人がばっちかったかという歴史が書かれている。
古代ローマのころは、お風呂大好きだったのが、キリスト教の時代になるとまったく風呂に入らなくなるのだと。 その後、ペストの流行などで、ますます、水を忌み嫌い、水に近づかなくなったそうだ。よくどこそこの宮殿には風呂もトイレもなかった、なんてことを聞くが、本当だったんだね。 
用足しも、ポットの中でして、夜に窓から投げ捨ててた、とか。
中世では王様も垢だらけだったらしく、匂いもそれはひどかったそうだ。
風呂が一般に普及し始めたのは、20世紀になってかららしいぞ。

人間というもの、案外、高邁な思想より、その清潔の程度の違いで、人を拒否したりするものだ。 いくら気の合う人でも、清潔のレベルが違うということは、これは生理的嫌悪で、どうしても許しがたかったりするものだ。

よく夢想するのだが、年をとって一人になったら、同じく一人になった友人何人かと共同生活、なんてことを考えたりすることもあるが、こういう場合、ぜったい、だれそれはお皿の洗い方が汚いだとか、風呂の使い方がなってないとか、ものの食べ方が気に食わんとか、そういうしょうもないことが大問題となって、大げんか、というのは目に見えているのだ。
 
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途中経過がでていましたが、できあがってます。

※   ※
ゴミを捨てに行ったら、前をおじさんが歩いてる。
おじさんは、病気の後遺症で足が不便。
おじさんもゴミを捨てに行くところだ。
「おはようございます」と挨拶すると、気持ちのよいご返事が返ってくる。
おじさんのゴミはほんの小さな袋一つだ。
ついでにゴミ捨て場まで持っていってあげたってぜんぜん構わない。
でも、おじさんは、ゆっくりではあっても、自分でゴミを捨てにいけるのだ。
ゴミを捨てに行くということが一つの仕事なのかもしれない。
人の10倍かかっても、ゴミを捨てに行った、という事実は、他の人とかわらない。
若い頃なら、お節介をしたかもしれないが、今はゴミを捨てに行くおじさんを応援する。

図案です
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名古屋の街中に出かけたのは、この
森本秀樹さんの絵を見に行くのが目的でありました。
10月に名古屋画廊で個展があったのだが、それには行けなかったので、今、名古屋ヒルトンのロビーに展示中のものを見にいってきた。
同行したM女史のお知り合いの絵描きさんなのだが、なかなかに魅力的な絵を描かれる。



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