12月31日 水 曇り 旧暦11月10日
ぱっとしません天気です。掃除は先延ばしにしたけど、たべもんだけはちょこっと作ろうかなということで、二度寝返上で、身欠きニシンの炊いたの、とか、ゴマメ(田作り)、なんちゃって黒豆なんかを制作。今豚の塊をほうじ茶で煮ているだ。
そんなこんなで暖かい台所に籠り、ネットを見たり、借りてきたDVDを見たりしながらことことお節らしきものを作りませう。
一年間ありがとうございました、とかは無しにしよう。淡々と平常心でまいりましょうね。
12月30日 火 晴れ 旧暦 11月9日
平常心でこんなことやっております。お絵描き缶々第二弾。これも蚊取り線香缶。今度は普通サイズ。これから先、目が悪くなってきたのであまり細かい画風じゃなく、こういう画風ならいいんじゃないの、と、この方向で進んでみようじゃない。
さてさて、また一年終りかけ。今年は、よく洋裁をやった年だったなと。でまぁ、時間の経つのが二倍速ほどなので、二年を取りあえず一年分ぐらいに考えてぼちぼち歩いていきましょう。
こういう物作り、めったにない事なのだが、時々素晴らしい作り手を発見することがあって、やっぱり、物を作るということが一番自分には清々しく心が晴れることなんだなと思った。邪心のないいいものを見ると、爽やかに風が吹き抜けて行く。自分もまたせいぜい精進して、邪心のないものを作れたらなぁと思う。
12月29日 月 小雨 旧暦11月8日
あたたかい雨が降り、ストーブを付けるのを忘れてしまう。最近省エネ二度寝が習慣になってきている。
さて、テレビも新聞も遠ざけている私が、どうやって世の中の情報を仕入れているかと言うと、主にツイッターが大きい。ツイッターを始めたのは震災の前の年だから、かれこれ五年近くツイッターをやっていることになる。フェイスブックもちょっと試したが、あれは相性が悪かったというか、使いこなせないまま頓挫。こういうツールは賛否両論あることとは存じまするが、それぞれが自分流の使い方が出来ると思う。
私はツイッターを、自分が作る自分の為の新聞だと思っている。重要なのはどういう人をフォローしておくか、ということかな。
とにかくニュースの伝わり方が早い。テレビや新聞なんかより断然早い。地震情報のもフォローしておくと、揺れたらすぐツイッターを見る。そうすると何処でどの程度の地震だったかすぐにわかる。天気予報もあれば、文化面もあり、映画情報、料理、絵画、全て自分の知りたいと思う情報を発信しそうな人をフォローしておく。
ある程度見続けているとこの人の情報はどうかな?というのが出てくる。そういう人は順次外してまた別の人に入れ替える。気をつけていないと情報が偏ってくるということもある。
そういうことで、自分でこの情報はどうなのだ?ということを考えながら見て行ける。前は新聞やテレビの言う事、そのまま鵜呑みにしていたからね。
それと、ツイッターは、人が通って行く道のようだ。道の広さはフォローしている数に寄るだろう。大勢フォローしていると大通りということになり、様々な人がなにかわいわい喋りながら通り過ぎて行く。その中にはRTされた知らない人も通って行くし、昔からの顔なじみも通って行く。こっそり物陰から見てる人もいるだろうし、時々は話しかけたり、座り込んでお喋りしたりもする。そういう道路。
と、いうふうに私は使っているのだ。
12月28日 日 晴れ 旧暦11月7日
今朝は室温が2℃ぐらいしかなく、外にでてみると霜は降りているし、氷も張っていた。だども、この間の寒波、ちょうど選挙の辺りだったかの寒さに比べると、ゆるい寒さであるような気がする。あの時はあんなに寒くても氷も張らず霜も降りていなかった。寒さに慣れてきたのかもしれないね。
氷の厚みはそんなに厚くはない。パリパリっと割れるくらい。この下に金魚がいる。けなげだ。
そして、暖かい部屋の中でロールキャベツの朝食。感謝。
12月27日 土 晴れ 旧暦11月6日 さわしかのつるおつる
湯豆腐というのは気合を入れて作るとじつに旨いのである。いい加減に作ったのとは雲泥の差が出る。まず、昆布を吟味する。その次のポイントはやはり豆腐の質。
昆布の味がしみやすいように包丁ではなく手で千切る。水を張ったボールの中で千切る。濁りを出さない為。
豆腐と一緒に醤油と鰹節を入れた細長い湯呑みも一緒に湯煎する。その鰹の出しの出た醤油を湯豆腐に掛け、ネギを散らす。豆腐も旨いけど昆布の出汁が効いたお汁がまた最高に旨い。
へへ、最近動画で、深夜食堂見てるんです。暗いですよ〜。
12月26日 金 晴れ 旧暦11月5日
年末は毎年画像に困るのこと。きのうの乾物屋でのお買い物ブツはたいへん被写体になるものばかりで、いいふうに撮りたいとは思っている。食べてしまう前に...
黒豆を買うつもりが白花豆というのが白くて艶やかでいい感じだったので、今年はこれを煮てみようと思う。黒豆は水煮したのを少し買ってこよう。白黒でいいじゃありませんか。あ、良くないのかな、正月に白黒は、、うーむ。
左の飯椀は戸棚の奥から出てきた。なつかしい。それでしばらく食卓に再登場させる。飯椀として使うより、佃煮などをちょっと盛りつけるのによいではないか。1970年前後に京都の河原町の大和民芸で買ったモノ。
あの民芸店が大好きで、ああいうものに囲まれた暮しをしたいなと思っていたが、結果、今は何もかもがバラバラのテイストで存在している。
こういうことは、はっきりと路線を決めて突き進むべきだったと反省している。
捨てる事がブームだが、それよりも、買う時にもっと考えを練るべし。うかつに物を買わぬべし。と、反省している。
12月25日 木 晴れ 旧暦11月4日
しかし、なぜに、こうも時間の経つのが速く感じられるのだろう、と話していて、亭主が今年、二度目にいいことを言った。
人の一生の時間というのは螺旋形になっていて、
例えると、蚊取り線香であったり、関西方面でお葬式のお通夜につける渦巻き型円錐形の線香のようになっていて、若い時は外側の大きな円が一年、年を取るごとに上の方の小さな円になっていって、一年も短くなっていくと。
なるほど、宇宙は螺旋形で出来ているという話も聞いた事がある。
子供の間の10年は大変長く感じたが、年を取るほど10年は短くなる。
奇しくも、今日は孫一クンの10才のお誕生日。あれから10年経ってしまったのだよ。よちよち這いずっていた乳児がもうすっかりおにいちゃん。ああ、なんてあっと言う間のことだったのだろう。
これからの10年はもっともっと加速していくのだろうな。
手仕事の速度は反比例して遅くなって行く。ぼちぼちやりましょう。
※ ※去年のブログを見直して、去年孫の年を間違えていたことに気が付く。去年10才だと勘違いした。今年が10才だった。
12月24日 水 晴れ 旧暦 11月3日
だいぶ具合も良くなってきたので、じっとソファに座っているのもナニなので、前に下塗りをしておいた蚊取り線香の缶に絵を描いてみた。絵の具は某所さまよりの頂きものがたっぷり。色数が多くて配色にトマドウワタシ。ちょっとこの配色、肝油ドロップ缶的。
このまま終ってもいいが、もう少し陰影など入れた方がいいか迷う所だが、次ぎ行ってみよう路線の方がいいかもしれない。
これは大きな蚊取り線香缶なのでゴミ箱にする。
こういうふうに制作がノって来る時に年末年始が挟まるとしゅぼーんと制作の方の神さまが消えてしまうのがいやなのだ。
制作の神さまって最低三日ぐらいは机に座り続けないと降りてこないのだ。
さて今日はある神さまの生誕前夜祭でもあるが、今年は色々と神さまの秘密に立ち入る事が出来た年であり、覚醒の記念すべき年であったのこと。
「常識を疑おうっ!」 .....っと叫んでおこう。
12月23日 火 晴れ 旧暦 11月2日
ってなわけで、今日も祝日のよう。昨日は朔旦冬至でありまして、今日から太陽と月が一緒に新しく生まれ変わる、という19年に一度のおめでたい冬至でありました。今日の空、すこし霞んでいい感じです。なにごとも良いふうに回っていきますように。
この頃居ながらにして富士山の姿がリアルタイムで見られる技を発見。いや、なに、ツイッターで富士山撮影情報をフォローしてるだけなんですけどね。今日もすこぶる美しい富士山です。なんでも、ダイアモンド富士も今日撮れるとか。
さて、暮も押し迫ってきましたが、歯は快方に向かってはいるものの、無理をせず、正月は旧暦でやろうかしら、なんちゃって。 パンも3ミリにスライスして食べる事にしたよ。
椅子に掛けてあるキルト、縁がまだ縫えてない。年内に完成させたいのは山々だけど、これも無視しよう。
なんだかここに座ってぐだぐだしていることが多いのです。居場所があるというのは、ありがたいことであります。
12月22日 月 晴れ 旧暦11月1日 冬至
さわやかに晴れて冬至の日を迎えた。気温もおだやかである。
この缶はセブンイレブン限定商品だそうだ。買えてよかった。すごくかわいい。
ところで「くまもん」の発音が家人と違っていて笑われた。関西人の私は関西風のイントネーションになるのだ。他の関西人が果たして自分と同じ発音をするのか確認はしていないが...でも、アナウンサーが熊と発音する後にもんをつけるだけなのになぁ、おかしいなぁ。
「アバター」の発音も笑われちまった。
さて、今日は寒さも引き続きゆるんでいるが、この間の寒さに懲りたのでウニクロに極暖のシャツを買いに行った。そうしたら考える事はみな同じらしく、同年代のご婦人で極暖タートルネック売り場はごったがえしていた。色も今年はなかなかいいのが出ていて良いのだが、欲しい色のサイズが何処にあるのかわからない感じでみな探しまくって、見知らぬどうしなのだが和気あいあいと「あ、グレーのXLあの上の方にあるよ」とかまるで旧知の仲のように楽しくお買い物をしたのであった。
思うに、ブログも長いことやってると、見知らぬ方とお話しするのが平気になっている、そういう流れが現実の場でも現れて、その辺の人みなお友だちってふうになってきているのだろう。